【実践】STPフレームワーク 新規事業における市場細分化・ターゲット設定・ポジショニング戦略
新規事業における市場開拓の羅針盤:STPフレームワークの活用
新規事業を成功に導くためには、変化の激しい市場において、誰に対して、どのような価値を提供し、自社はどのような位置づけで競争優位を築くのかを明確に定義する必要があります。特に、これまでの主要事業とは異なる市場や顧客層を開拓する場合、過去の成功体験や既存事業の常識だけでは立ち行かない場面が多く発生します。経験豊富な担当者であっても、ゼロベースでの顧客定義や市場理解には、体系的なアプローチが不可欠となります。
ここで有効な実践ツールの一つが、STPフレームワークです。STPはSegmentation(市場細分化)、Targeting(ターゲット設定)、Positioning(ポジショニング)の頭文字を取ったものであり、顧客戦略を構築する上で極めて重要な思考プロセスを提供します。不確実性の高い新規事業環境において、STPは市場機会の特定、リソース配分の最適化、そして最も重要な「誰に売るのか」「なぜ当社から買うべきなのか」という問いに対する明確な答えを導き出す助けとなります。
本記事では、STPフレームワークの基本から、特に新規事業の文脈での実践的な活用方法、そして経営層への説明に役立てるためのポイントまでを詳細に解説します。
STPフレームワークの概要と新規事業における重要性
STPフレームワークは、市場全体をいくつかの意味のあるグループに分け(Segmentation)、その中から自社が最も効果的にアプローチできる顧客グループを選び(Targeting)、選ばれたターゲット顧客に対して自社の製品やサービスの競争優位性を明確に打ち出す(Positioning)という一連の思考プロセスです。
新規事業においてSTPが特に重要となるのは、以下の理由によるものです。
- 市場機会の明確化: 広範な市場から、自社が潜在的に最大の価値を提供できる、あるいは競争優位を築きやすい特定のニッチやセグメントを発見するのに役立ちます。これにより、漠然とした市場全体ではなく、具体的な顧客像とニーズに焦点を当てることができます。
- リソースの集中: 限られた新規事業のリソース(ヒト・モノ・カネ・時間)を、最も有望なターゲット市場に集中させることができます。これにより、成功確率を高め、投資対効果を最大化することが期待できます。
- 提供価値の具体化: ターゲット顧客のニーズや課題を深く理解することで、彼らに響く具体的な価値提案(Value Proposition)を明確にすることができます。これは、製品・サービス開発やマーケティング戦略の土台となります。
- 競争優位性の構築: 競合他社との差別化ポイントを明確にし、ターゲット顧客の心の中に独自の地位(Position)を築くための戦略を立てることができます。
これらのプロセスを経ることで、新規事業の方向性が定まり、その後の事業計画策定や実行におけるブレを減らすことができます。
STPの各ステップ:新規事業担当者の視点での解説
1. Segmentation(市場細分化)
市場全体を、顧客の特性やニーズに基づいて意味のある小さなグループ(セグメント)に分割するプロセスです。新規事業の場合、既存市場の分類に囚われず、新たな切り口で市場を捉え直す視点が重要です。
- 目的: 異なるニーズを持つ顧客グループを識別し、それぞれのグループの規模や特性を把握すること。
- 基本的な切り口:
- 地理的変数: 地域、気候、人口密度など。
- 人口動態変数: 年齢、性別、所得、職業、家族構成など(BtoC)。企業規模、業種、従業員数など(BtoB)。
- 心理的変数: ライフスタイル、価値観、パーソナリティ、購買動機など。
- 行動変数: 購買頻度、購買量、ブランドロイヤルティ、製品の使用状況、情報の接触態度など。
- 新規事業での視点:
- 潜在ニーズ: 既存製品・サービスでは満たされていない潜在的なニーズやペインポイントを持つグループはどこか。
- 未開拓市場: これまでアプローチされてこなかった、あるいはアプローチが困難だった顧客層はどこか。
- 技術受容性: 新しい技術や概念を比較的容易に受け入れる可能性のあるグループはどこか。
- 自社のアセットとの関連: 自社が持つ技術、知識、顧客基盤、販売チャネルといったアセットが活かせるグループはどこか。
市場細分化の際には、単にデータを収集するだけでなく、「なぜこのグループは他のグループと異なる行動をとるのか」「彼らが抱える根本的な課題は何か」といった深い洞察を得ることに注力します。
2. Targeting(ターゲット設定)
細分化された市場セグメントの中から、自社の新規事業として最も優先的にアプローチすべき一つ、あるいは複数のセグメントを決定するプロセスです。全てのセグメントをターゲットにすることは、リソースが限られる新規事業においては非現実的であり、焦点がぼやける原因となります。
- 目的: 自社のリソース、能力、戦略的方向性に合致し、かつ収益性や成長性が期待できるセグメントを選択すること。
- 評価基準(一例):
- セグメントの規模と成長性: 十分な顧客数が見込まれるか、将来的に成長が期待できるか。
- 収益性: ターゲット顧客が製品やサービスに対価を支払う意思と能力があるか、利益率が見込めるか。
- 競争環境: 競合他社の参入状況はどうか、競争優位を築く余地があるか。
- 自社との適合性: 自社の技術、ノウハウ、ブランドイメージ、企業文化、販売チャネルなどが、そのセグメントに適切か。
- 到達可能性: ターゲット顧客に効果的にアプローチできるか(情報伝達、製品・サービス提供)。
- 新規事業での視点:
- 「初期採用者(Early Adopter)」の特定: 新しい製品やサービスをいち早く試してくれる可能性の高い層はどこか。彼らはフィードバックを通じて製品改善に貢献し、口コミで普及を助ける重要な存在です。
- 検証容易性: 小さな規模で仮説検証を行いやすいセグメントはどこか。新規事業では、最初から大規模展開を目指すのではなく、特定のセグメントで事業仮説の確からしさを検証することが一般的です。
- 将来への広がり: 選定したターゲットから、隣接するセグメントやより大きな市場へと事業を拡大していく道筋が見えるか。
ターゲット選定は、単なる市場規模の評価に留まらず、自社の強みをどこで最も活かせるか、そして事業リスクをどこまで許容できるかという戦略的な判断を伴います。
3. Positioning(ポジショニング)
選定したターゲット顧客に対して、自社の製品やサービスが競合他社のものと比べてどのような点で優れているのか、どのようなユニークな価値を提供するのかを明確に定義し、顧客の心の中に独自の地位を確立するための戦略を策定するプロセスです。
- 目的: ターゲット顧客に、自社の製品・サービスを選択すべき明確な理由を提示し、競合との差別化を図ること。
- ポジショニングの要素:
- ターゲット顧客: (Target) – 「誰のための」製品/サービスか。
- 製品/サービスのカテゴリー: (Frame of Reference) – 「どのような種類」の製品/サービスか。
- 主な差別化ポイント: (Key Point of Difference) – 「競合と比べて何が違う」のか。
- 提供する便益: (Key Benefit) – 「それによって顧客はどのような良いこと」を得られるのか。
- 新規事業での視点:
- 未知の価値: これまで市場に存在しなかった新しい価値や解決策をどのように表現するか。顧客がその価値を理解できるよう、既存の概念と比較したり、具体的な利用シーンを提示したりする工夫が必要です。
- 信頼性の構築: 新規事業の場合、ブランド認知度や信頼性が低いことが一般的です。ポジショニングにおいては、自社の技術力、実績(既存事業でのものを含む)、あるいは提供する価値が信頼に足るものであることを伝える要素も考慮します。
- 柔軟性: 新規事業の初期段階では、顧客の反応や市場の変化に応じてポジショニングを微調整する必要が出てくる可能性があります。最初から厳密に固定せず、学習を通じて進化させる前提で考えます。
ポジショニングマップ(二軸を使って製品・サービスの位置関係を視覚化するツール)などを活用することで、自社と競合の相対的な位置を把握し、望ましいポジショニングの方向性を検討するのに役立ちます。
応用・活用事例:経営層への説明力を高めるSTP
STPフレームワークは、新規事業の構想を具体化するだけでなく、その妥当性や実現可能性を経営層を含む社内外の関係者に説明する際にも非常に有効なツールとなります。
例えば、大手製造業がIoTを活用したBtoBサービス事業に新規参入する場合を想定してみましょう。
- Segmentation: まず、潜在的な顧客である様々な業種の企業を、「設備稼働監視ニーズのレベル」「既存システムの導入状況」「予算規模」「新しい技術への関心度」といった様々な切り口で細分化します。これにより、「中小規模だが設備停止による損失が大きい特定業種の企業群」「大規模で既存システムは古いが刷新意欲が高い企業群」といった具体的なセグメントが見えてきます。
- Targeting: これらのセグメントを、自社のIoT技術の強みが最も活かせるか、営業リソースで十分カバーできるか、高い収益性が期待できるか、といった基準で評価します。その結果、「設備稼働監視ニーズが高く、比較的新しい技術への関心があり、かつ地理的に集中している中小規模企業」というセグメントを初期ターゲットとして選定したとします。これは、潜在顧客が多く、口コミ効果も期待でき、導入サポート体制も構築しやすい、といった理由に基づいています。
- Positioning: 選定したターゲット顧客に対し、「当社のIoTサービスは、複雑な設定なしに既存設備に取り付け可能で、リアルタイムの稼働状況を分かりやすく可視化し、突発的な故障リスクを大幅に削減します。特に、〇〇業における小規模工場の安定稼働を、低コストで支援するソリューションです」といった形でポジショニングを明確にします。競合サービスが大規模工場向けや、高度なデータ分析に特化しているとすれば、シンプルさ、導入容易性、特定業種・規模への特化といった点が差別化ポイントとなります。
このSTPのプロセスと結果を、経営層への提案資料に盛り込むことで、「なぜこの事業をやるのか」「誰を顧客とするのか」「競合と何が違うのか」「顧客にとってのメリットは何か」といった、新規事業の根幹に関わる問いに対して、論理的で体系的な説明が可能になります。市場全体の中から狙うべき場所を絞り込み、そこに到達するための自社のユニークな価値を明確に定義したプロセスは、経営層に安心感と納得感を与え、事業への投資判断を後押しする強力な根拠となります。
注意点と成功のためのポイント
STPフレームワークは非常に強力ですが、その活用にあたってはいくつかの注意点と成功のためのポイントがあります。
- データに基づいた分析: 経験や直感も重要ですが、市場データ、顧客調査、競合情報などの客観的なデータに基づきSTP分析を行うことが重要です。仮説はデータで検証し、必要に応じて見直します。
- セグメンテーションの切り口の選択: どのような変数で市場を細分化するかは、新規事業の性質や対象市場によって大きく異なります。複数の切り口を試行し、自社の事業戦略にとって最も意味のある分け方を見つけることが重要です。細分化しすぎても、細分化が不十分でも、効果的なターゲティングはできません。
- ターゲットの絞り込みすぎ・広げすぎ: ターゲットを絞り込みすぎると市場規模が小さくなりすぎるリスクがあります。逆に広げすぎると、リソースが分散し、個々の顧客に対するメッセージがぼやけてしまいます。新規事業のフェーズやリソース状況に応じて、適切な範囲を見極める必要があります。
- ポジショニングの明確さと一貫性: ターゲット顧客に対して、自社のポジショニングが一貫したメッセージとして伝わることが重要です。マーケティングコミュニケーション、製品設計、価格設定など、あらゆる活動でポジショニングを反映させます。
- 他のフレームワークとの連携: STPは顧客戦略の土台となるフレームワークですが、これだけで事業全体を網羅できるわけではありません。STPで明確になったターゲット顧客と提供価値を元に、リーンキャンバスで事業仮説全体を整理したり、価値提案キャンバスで顧客ニーズと提供価値のフィットを深掘りしたり、ビジネスモデルキャンバスで収益モデルやコスト構造を検討したりと、他のフレームワークと組み合わせることで、より強固な事業計画を構築できます。
- 不確実性への対応: 新規事業、特に未開拓市場においては、STP分析に用いるデータ自体が限定的であったり、顧客ニーズが想定通りでなかったりといった不確実性が伴います。STPの結果はあくまで現時点での「最も蓋然性の高い仮説」と捉え、事業を進める中で得られる情報に基づいて、柔軟にSTPを見直していく姿勢が重要です。
結論:STPを新規事業成功のための体系的思考ツールとして活用する
新規事業の成功は、単に革新的な技術や製品アイデアにかかっているわけではありません。それは、「誰の」「どのような課題を」「どのように解決し」「なぜ自社がそれに最も適しているのか」を明確に定義し、実行に移す体系的なプロセスによってもたらされます。STPフレームワークは、このプロセスの核となる顧客戦略を、論理的かつ体系的に検討するための強力なツールです。
市場を深く理解し、狙うべき顧客層を明確にし、自社のユニークな価値を定義することは、新規事業の羅針盤となります。特に、不確実性の高い新規領域において、経験と直感に加えてSTPのようなフレームワークを用いることで、思考の抜け漏れを防ぎ、仮説の精度を高め、社内外の関係者に対する説明責任を果たすことができます。
ぜひ、この記事を参考に、あなたの新規事業においてSTPフレームワークを活用し、市場開拓と顧客定義を成功に導いてください。STPで明確になった顧客像は、その後の製品開発、マーケティング、販売戦略全ての起点となるはずです。