【実践】新規事業における顧客の「隠れた課題」発見フレームワークと活用戦略
新規事業成功の鍵:顧客の「隠れた課題」を発見する重要性
新規事業の立案において、市場分析や競合分析、技術評価はもちろん重要ですが、成功の成否を分ける最も根源的な要素の一つは、「顧客の深い理解」です。特に、顧客自身も気づいていない、あるいは言語化できていない「隠れた課題」や潜在ニーズの発見は、競争優位性の高い独自の価値提案を生み出す源泉となります。
長年にわたりビジネスの第一線でご活躍されている皆様にとって、既存事業における顧客理解は既に確立されていることでしょう。しかし、新しい市場や顧客層をターゲットとする新規事業においては、ゼロから顧客を定義し、その本質的な課題を捉え直す必要があります。これは、表面的なニーズ調査だけでは不十分であり、より深いレベルでの洞察が求められる作業です。
本記事では、新規事業における顧客の「隠れた課題」を発見するための実践的なフレームワークとアプローチをご紹介し、発見したインサイトを戦略立案や、特に経営層への説得力のある説明にどう活用していくかに焦点を当てて解説します。不確実性の高い新規事業環境下で、客観的な根拠に基づき、社内外の関係者を巻き込むための体系的な手法を学ぶ一助となれば幸いです。
「隠れた課題」を発見するための主要フレームワークとアプローチ
顧客の「隠れた課題」は、アンケートやインタビューで直接尋ねても容易に答えてもらえるものではありません。それは、顧客の日常的な行動、感情、物理的・社会的な環境の中に深く根差しているからです。これらの課題を発見するためには、顧客の「言うこと」だけでなく、「やること」「考えること」「感じること」に注意深く耳を傾け、観察し、分析する必要があります。
ここでは、そのための代表的なフレームワークとアプローチをいくつかご紹介します。これらは単独で使用するだけでなく、組み合わせて用いることでより深い洞察が得られます。
1. エスノグラフィー(行動観察)
- 概要と目的: 人類学の研究手法に端を発し、対象となる顧客の実際の生活や仕事の環境に入り込み、行動を観察し、対話を通じて理解を深める質的な調査手法です。顧客が自身の課題をどのように捉えているかだけでなく、無意識的な行動や習慣、非効率性などを「現場」で発見することに重点を置きます。
- 基本的な使い方:
- 調査目的と観察対象(顧客セグメント、具体的な環境)を明確に設定します。
- 実際に顧客の職場や生活の場を訪問し、長時間にわたり観察を行います。
- 観察中に気づいた点や疑問点をその場で問いかけ、顧客の行動の背景や理由を探ります。
- 観察内容、対話、写真、動画などの記録を詳細に残します。
- 得られたデータを分析し、顧客の行動パターン、課題、欲求などを構造化します。
- 新規事業での活用: 全く新しい市場や顧客層をターゲットとする場合、既存の知識が通用しないため、ゼロから顧客のリアルな状況を理解するのに非常に有効です。例えば、製造業がITサービス事業に進出する際に、顧客の製造現場で発生しているデータ連携のボトルネックや、現場担当者の非効率な手作業といった「隠れた課題」を発見するのに役立ちます。
2. Jobs To Be Done (JTBD)
- 概要と目的: 顧客が製品やサービスを「雇用(Hire)」するのは、何か特定の「仕事(Job)」を完了させるためであるという考え方に基づいたフレームワークです。「仕事」とは、単なる機能的なタスクだけでなく、感情的、社会的な側面を含みます。顧客の「完了したい仕事」に焦点を当てることで、従来の製品カテゴリや競合の枠にとらわれず、顧客の真の欲求や課題を明らかにします。
- 基本的な使い方:
- 顧客がどのような状況で、どのような目的を達成しようとしているのかを掘り下げます。
- 顧客がその「仕事」を完了させるために、現在どのようなステップを踏んでいるのか、どのような困難に直面しているのかを特定します。
- 機能的な「仕事」(例: データを集計する)、感情的な「仕事」(例: 上司から認められたい)、社会的な「仕事」(例: 同僚から尊敬されたい)のそれぞれを洗い出します。
- 顧客が「仕事」を完了させる上で感じているフラストレーションや、より良い状態への願望を明確にします。
- 新規事業での活用: 既存製品の延長線ではない、根本的に異なるアプローチで顧客課題を解決するアイデアを生み出すのに適しています。製造業の例であれば、顧客は単に「部品を加工したい」のではなく、「納期遅延なく高品質な製品を生産し、顧客満足度を高めたい」「現場の熟練工の技術を若手に継承したい」といったより高次の「仕事」を抱えている可能性があります。JTBDは、これらの隠れた「仕事」とそこに伴う課題を発見する手がかりとなります。
3. カスタマージャーニーマップ (隠れた課題の視点)
- 概要と目的: 顧客が特定の目的を達成するために、製品やサービスとの接点を通じて経験する一連のプロセスを視覚化したものです。通常のジャーニーマップは既存の体験を整理しますが、「隠れた課題」発見のためには、顧客が目標達成に至るまでの「現状」を、接点だけでなく、思考、感情、ペインポイント(苦痛に感じている点)を含めて詳細に描写することが重要です。特に、製品やサービスが存在しない、あるいは利用に至る前のプロセスに多くの「隠れた課題」が潜んでいます。
- 基本的な使い方:
- 対象となる顧客セグメントと、顧客が達成しようとする目的(ジャーニーのゴール)を設定します。
- 顧客がその目的を達成するために踏むであろう主なステップを洗い出します。
- 各ステップにおいて、顧客がどのような行動を取り、何を考え、何を感じているのか、どのようなツールや人と関わっているのかを詳細に記述します。
- 特に、各ステップで顧客が直面する困難、不満、非効率性、満たされていない期待などに注目し、これを「ペインポイント」として明確にします。このペインポイントの中に「隠れた課題」のヒントがあります。
- エスノグラフィーやJTBDで得られたインサイトをジャーニーマップに落とし込むことで、より網羅的かつ深い課題の発見につながります。
- 新規事業での活用: 新しい顧客層や新しい事業領域において、顧客が現在どのように課題を解決しようとしているのか、そのプロセスにおける抜け穴や非効率性を発見するのに役立ちます。例えば、製品の購買後、実際の運用や保守において顧客がどのような「隠れた課題」を抱えているかを見える化し、新たなアフターサービスやソリューション事業の機会を発見することなどが考えられます。
発見した「隠れた課題」の応用と活用事例
「隠れた課題」を発見することは、それ自体が目的ではありません。発見したインサイトは、新規事業のアイデア創出、価値提案の具体化、そして事業計画の説得力強化に活用されなければなりません。
事業アイデアへの昇華
発見された「隠れた課題」は、まだ誰も解決できていない、あるいは既存の方法では十分に解決できていない可能性が高い課題です。これらは、新規事業のアイデアの強力な出発点となります。
例えば、製造業の顧客が「現場の技術伝承が属人化しており、若手育成が難しい」という「隠れた課題」を抱えていると発見したとします。これは、単に「研修システムが欲しい」というレベルではなく、技術伝承に伴う感情的なハードル、ノウハウの形式知化の困難さ、現場の教育リソース不足といった複数の側面を含んでいる可能性があります。ここから、「熟練工の暗黙知をAIで解析・可視化するツール」「リモートでの技術指導を効率化するAR/VRソリューション」「多拠点工場の技術標準化と共有プラットフォーム」など、様々な新規事業アイデアが生まれる可能性があります。重要なのは、課題の本質を捉え、それに対する独自の解決策を創造することです。
経営層への説明における活用
経験豊富な皆様にとって、経営層への新規事業提案は避けて通れないプロセスです。その際に、抽象的な市場予測や希望的観測だけでなく、客観的な顧客インサイトに基づいた提案を行うことが極めて重要になります。「隠れた課題」発見のプロセスと結果は、この客観性の根拠となります。
- 発見プロセスを示す: どのように顧客の「隠れた課題」を発見したのか(エスノグラフィーで現場に密着した、JTBDで真の欲求を深掘りした、ジャーニーマップでペインポイントを可視化したなど)、その調査手法そのものの妥当性を示すことで、提案の信頼性が増します。
- 生の声や具体的な行動を示す: 顧客の生の声(匿名化・抽象化して)、観察された具体的な行動や環境の写真などを提示することで、経営層は顧客の状況をよりリアルにイメージできます。「顧客は単に〇〇を求めているのではなく、✕✕という状況下で△△という『隠れた課題』に直面しており、既存の解決策では不十分なのです」と、具体的な事例や発見したインサイトを交えて説明することで、なぜ提案する事業が必要なのか、その市場機会がどこにあるのかを説得力をもって伝えることができます。
- 市場規模との関連付け: 発見した「隠れた課題」が特定の顧客セグメントや、潜在顧客層全体にどの程度存在するのか、その課題解決にどれだけ投資する可能性があるのかといった定量的な可能性にも言及することで、事業規模や収益性に関する経営層の関心に応えることができます。ただし、不確実性が高いため、仮説ベースであることを正直に伝えつつ、なぜその仮説が有力なのかをインサイトに基づいて説明します。
「隠れた課題」発見における注意点と成功のポイント
「隠れた課題」発見のアプローチは強力ですが、その実践にはいくつかの注意点と成功のためのポイントがあります。
- 表面的な「ニーズ」に惑わされない: 顧客が「欲しい」と言うものが、必ずしも真の課題解決に繋がる「隠れた課題」に基づいているとは限りません。表層的な要求のさらに奥にある、その行動や発言の根本原因を探求する姿勢が不可欠です。
- 仮説検証のサイクルを回す: 発見した課題はあくまで「仮説」として捉え、少数の顧客グループやプロトタイプを用いた検証を通じて、その妥当性や重要性を確認していく必要があります。リーンスタートアップのアプローチとも親和性が高い部分です。
- 社内外の関係者を巻き込む: 顧客と直接接する営業担当者、カスタマーサポート、現場の技術者など、社内の様々な部門が顧客の「隠れた課題」に関する貴重な情報を持っている可能性があります。これらの関係者との連携や情報共有は、インサイトの発見・検証において非常に重要です。また、発見したインサイトを共有することで、事業開発への賛同や協力を得やすくなります。
- 完璧な答えはないという認識: 特に新規事業、未知の顧客層においては、全ての「隠れた課題」を網羅的に、完璧に発見することは困難です。不確実性を許容しつつ、最も有望と思われる課題に焦点を当て、迅速に検証を進めていくことが現実的です。
- 複数のフレームワーク・視点の組み合わせ: エスノグラフィーは観察、JTBDは目的、ジャーニーマップはプロセスとペインポイントというように、それぞれ異なる切り口を提供します。これらを組み合わせることで、多角的な視点から顧客の深い理解を目指すことができます。
結論:顧客の深い理解が新規事業を加速させる
新規事業の成功は、多くの場合、顧客の未充足ニーズや「隠れた課題」をいかに深く理解し、それに対する有効な解決策を提供できるかにかかっています。経験豊富な皆様が、これまでの知見に加えて、本記事で紹介したような体系的なフレームワークやアプローチを取り入れることで、新規事業における顧客理解の解像度をさらに高め、より確度の高い戦略立案が可能になります。
「隠れた課題」を発見するプロセスは、地道で時間のかかる作業かもしれません。しかし、その過程で得られる深い洞察は、既存の知識や経験だけでは到達できない、真に顧客に価値を提供する事業アイデアの種となります。そして、そのインサイトに基づいた事業計画は、不確実性の高い環境下でも、経営層を含む社内外の関係者から共感と支援を得るための強力な武器となるでしょう。
是非、本記事でご紹介したフレームワークを、皆様が現在取り組んでいる新規事業の顧客理解に活用してみてください。顧客の「隠れた課題」に光を当てることから、新たなビジネスの扉が開かれるはずです。